日本の高級銘石

日本を代表する「高級銘石」と評される墓石材はいくつかありますが、東西の両横綱として知られているのが、東が神奈川県真鶴町産の「本小松石」で、西が香川県高松市産の「庵治石」です。

本小松石

本小松石(別名「伊豆石」「相州石」)は、箱根山が約40万年前に噴火した時に流れ出た溶岩が海中で急速に固まって形成された安山岩で、採石の始まりは平安後期、保元平治の乱後(1160年頃)からとされています(古くは奈良時代とする説もあり)。

上品な淡灰緑の色合いで、長年にわたる風雨や経年変化により品格と重厚感が増すのが特徴です。等級は「青目材(特級品)」「赤混じり(1級品)」「赤目材(2級品)」の3つに分かれますが、青目材の中で特に縞模様が強いものは最高品質の「大トロ(超特級品)」と呼ばれています。

その趣き深い表情は日本人の感性や美意識に合う自然素材として長年愛されてきました。古くは鎌倉時代の源頼朝のお墓(鎌倉市、白旗神社)をはじめとして、徳川家康ら徳川家代々のお墓、また和歌山県高野山奥の院にある織田信長、豊臣秀吉、武田信玄、明智光秀、石田三成などの各大名家、さらに江戸城の石垣や天皇家のお墓などに用いられ、大正天皇及び昭和天皇陵(東京・八王子市)にも大量の本小松石が使用されました。美空ひばりや力道山、森鴎外、芥川龍之介、手塚治虫、林家三平など著名人のお墓にも多数使われています。

なお真鶴半島の海側で採れるものは「新小松石」と呼びますが、主に土木建築や庭石として使われていました。

本小松石
本小松石 写真提供:(株)フクイシ

庵治石

庵治石は、高松市北東部の五険山の麓に広がる牟礼町及び庵治町で採掘される細粒(さいりゅう)黒雲母花崗岩で、採石の歴史は、高松城の築城(天正18年〔1590年〕)や神社の造営等の際に山を開いたのが始まりとされます。

その最大の特徴は「斑(ふ)」と呼ばれる鱗状の石目(細目(こまめ))の美しさが挙げられます。きめ細やかな石肌のなかに小さな黒雲母の結晶が多く混じり、光沢に深みを与えることで奥行きが生まれるのです。

細目の中でも特に厳選されたものは「細目特上(極上)」と呼ばれています。その類まれな美しさは、日本人の繊細な美意識や命の儚(はかな)さ、詫び寂びの世界に通じるものとして古くより愛されてきました。

しかし、その一方で山キズや不純物が多いのが難点で、長いまたは大きい原石を確保することが難しく、製造過程で何度も作り直すことも多いため、切り出した原石のうち製品として市場に出荷できるのはたったの3%しかありません。その希少価値の高さゆえに「石のベンツ」などと呼ばれるとおり価格も当然高額となりますが、大平正芳元首相や手塚治虫(漫画が描かれた墓前の石碑)、江川卓さん、郷ひろみさんなど、やはり著名人のお墓にも多数使用されています。

庵治石細目
庵治石 写真提供:(株)フクイシ