2015.01.09
JR山手線・京阪東北線「鶯谷駅」から徒歩5分、「上野駅」から徒歩15分。「光明閣」は徳川家の菩提(ぼだい)寺である東叡山寛永寺が建立した永代供養墓・納骨堂です。少子・核家族化を背景に墓の維持や継承ができない人が増えている世情に合わせて、2007年に建立されました。歴代将軍霊廟(れいびょう)に隣接した墓域にあり、上野公園にも隣接しているため、都心でありながら緑豊かで静かな環境が整えられた恵まれた立地です。
鶯谷駅南口を出て右方向に歩みを進め、緩やかな坂道を上ると、右手に寛永寺の霊園が広がっています。霊園の壁伝いに右手に曲がり、寛永寺本堂の根本中堂に向かいます。左手には東京国立博物館の木立が並んでおり、そのまま少し歩くと第3霊園の門が見えてきます。門をくぐると、右手に光明閣があり、左奥には根本中堂があります。光明閣に向かって左側には観音様がまつられており、こちらが永代供養墓になっています。
他所の合葬墓と埋葬方法が大きく異なるのが光明閣の特徴。いわゆる散骨形式ではなく、ご遺骨を麻袋に移したうえで合葬という形式をとっています。正面お堂のご本尊の阿弥陀さまの足元が納骨堂となっており、骨壺のまま納骨することが可能です。希望者は、こちらに納骨することもできます。
光明閣では、毎日、念仏の鐘をたたき、僧侶が供養の読経を行っています。また、毎月15、18日には両仏様の縁日供養、春と秋の彼岸やお盆、年末には盛大な回向法要を営んでいます。
寛永寺は1625(寛永2)年の創建。寺号に創建時の元号を使用することを許された数少ない寺院のひとつで、関東屈指の名刹といえます。現在の境内地は約3万坪、天台宗別格大本山の格式を有し、往時の面影を残す歴代将軍廟など歴史の重みを伝えています。特に寛永寺霊園は都心にありながら静寂と品格を保つ霊園として知られています。
上野から谷中にかけて広大な霊園が広がっているなか、寛永寺が納骨堂を作ったのは近年の墓地事情に対応するためです。少子化・核家族化の進展に伴って、本家の墓への埋葬を希望しない人や後継者不足などでお墓の維持継承の困難な人の希望に応じるため、建立したそうです。
(斉藤仁)